
富谷小学校九〇周年記念おめでとうございます。
富谷小学校同窓会からの寄稿文依頼。遠い記憶を懸命に掘り起こし、心にランダムに浮かんでくる風景は、あれは富谷小学校、いやあれは中学校だったからしら‥‥。リフレッシュする機会のなかった遠い記憶達が忘却の彼方へ消えていた事に気づく。アメリカフロリア州オーランド、移り住んで二十数年。今日も南国の青空にはゆっくりと雲が流れ、既に夏の香りを運んでいます。
フロリダは、アメリカの東南の端に位置します。ケネディ宇宙センター、ディズニーワールドと言えば馴染み深い方もいらっしゃるのではないでしょうか。サンシャインステートと言われるこの州は、オレンジなどの柑橘系フルーツ、またアリゲーターが数多く生息する湿地帯でも有名です。自然も豊かに残っている土地なので、ご興味ある方はぜひ足を延ばして見て下さい。きっと楽しめると思います。
さて、日本に日本人がいる様に、その国に行けば、その国の人がいると、捉えている自分に気づいたのはこちらに来てからでした。アメリカにいる“普通”のアメリカ人という人は実在せず、皆“何かしら”のアメリカ人でした。ベトナム系アメリカ人だったり、アイリッシュ系アメリカ人だったり。そうでした、本当のアメリカ人はアメリカンインディアンだけでしたね。
そして、この色々な“何かしら”のアメリカ人が、それぞれのバックグランドに基づいて常識で、思想で、習慣で、それぞれの言い回しや、なまりで話しながら生活しています。森の中で、動物が棲み分けるように、この国では、それぞれのグループがなんともなく、住み分けている様な感覚を覚えます。アメリカは自由であるとも言われますが、その雑多で多様な住み分けのせいか、目に見えない線が引かれ、逆に窮屈に感じる事もありました。
こちらの日々の生活の中で、人々の行動は、無意識のうちにそれぞれが属する文化背景に濃く支配されていると再認識させられました。恐ろしいと感じるポイント、笑いのツボ、約束の時間に対する感覚、欲しい物を、欲しいというタイミング、出された料理をお皿に残す、残されない、自己主張はどこまですべきか否か。皆微妙に、それぞれの“ライン”が異なるのです。
例えば怪談話さえも、日本のお化けはじっと見つめる等、怨を送る“静”であるものに対し、西洋ではボルダーガイストを始めとし、た“動”のものが多いです。お互いの気持ちを読み合う日本文化に対し、意見をはっきり伝えるべきと言う西洋文化なのでしょうか。
余談になりますが、こちらで播州皿屋敷のお話を英語で試みたことがありました。フロリダサンシャイン下での怪談は、全く理解されませんでした。“だってお皿は割ったのだから、一枚足りなくて当然だよね?”と。はい、その通りです。また、台湾には龍のお化けが、アラビアにはラクダのお化けの話が有る事を教えられた時も、文化ならではと納得してしまいました。
異文化を理解する事とは、迎合するでも、拒絶でもなく、その人それぞれの“ライン”を、お互いきちんと把握することです。その異文化の人々が集まる所には、それぞれのラインを客観的に認識し言語化してお互いに伝え合わせる作業が必須となります。アメリカの規則本や、マニュアルが異様に細かいのもそういう背景があると思います。“こうなるはずだ”“こうあるべき”という共通認識が無いので、ルールをすべて明文化し、其の権威を顕示するしかないのです。これも、私がアメリカ活を窮屈に感じる理由の一つかもしれません。また、日本がさらに国際化し、外国人をより多く受け入れるようになるには、他国の方々とも共通認識ができる様な、物事を明文化する技術力アップが必要と感じました。
とは言っても、自分の無意識は客観視しにくく、さらに語学力の限界もあり、こちらでの私の居心地の良いエリアはどんどん狭くなってきました。それは頭では理解していても、実行に移せたのは、ずいぶん経ってからでした。こんなに長いフロリダ生活ですが、それでも結局自の慣れ親しんだ土地・文化が、今でも居心地が良いのです。実家に戻り、家族、幼馴染、旧友もいて、常識や文化、価値を分かち合える安心感でほっとします。鮭が産まれた川に戻るのも分かった気がしています。
富ヶ谷で安堵する自分を認識しつつ、居心地のよさの外に見える世界があると分かっただけでも、自分なりの進歩だと言い聞かせ、今日もフロリダで元気にやっています。
富谷小学校の生徒さん、ご卒業生の皆様のご発展を、心よりお祈りしています。